個展初日、2日目

昨日から個展が始まった。
来月20日まで、週3日ではあるものの4週間の長期戦である。

在廊してギャラリーに座っていると、お客さんとお話している時も、していない時も色々なことを考える。
やはり個展の期間、ギャラリーの空間というのは独特で、きっとこの機会でしか頭に浮かんでこないことはたくさんあって、時間が経つと忘れてしまうと思うので、個展で感じたことを書き留めてみようかと思った。

せっかく「裏庭日記」というタイトルだし…

思い立ったのが個展2日目の今日なので、今回だけは2日分をまとめて書いてみる。

・8月29日

初日。暑い。

自分は暑いのが大好き、夏が大好きだ。
強い日光が照りつけ、影が濃く浮かび、街全体が生命力に溢れている感じがする。

35度の酷暑のなか、よせばいいのに自転車で40分くらいかけてギャラリーへ向かった。

ギャラリーへ付いてすぐに、チョコアイスミルクを出してもらった。
会場となるCOYAMAさんは、ブックカフェの隣にギャラリーが併設されていて、ブックカフェで飲食物を注文することができる。

まともな接客経験があまりない自分にとって、頭を接客モードに切り替えるのに少し時間がかかる。
何というか、社交的になるとか、心のスイッチをオンにするとか、そういうことではなくて、上手い距離感みたいなものを探っていく必要がある。

極端な話、作品を見てもらっている間、立っていた方がいいのか、座っていた方がいいのか、ここからしてもう分からない。
大切なお客さんなので、本当は立って接客をすべきなのかと思うが、立って接客をされると逆に相手も緊張するのではないかなどと思う。

別に絵を買ってほしい訳ではないので、アパレルの店員さんみたいに直立して張り付いているよりも座っている方がむしろ、お客さんも気負わずに見られるのではと思ったりもする。
(そりゃあ本音の本音を言えば、原画を買ってくれるのが一番うれしいけども…)

しかし、そう簡単に買える値段をつけていないことは百も承知だし、絵を見て何かしら生の感想をもらえるだけで、十分に個展をやった価値があるといえる。

在廊をしていると、COYAMAさんがオススメの本をすすっと持ってきてくれる。
2冊ともとてもいい本で、創作の源泉となるようなイメージが湧いてくる。

展示の期間というのは、展示をしながらも次はどういうことをしようか考える期間であるとも思う。
今回の展示が終わったら、飾った作品を中心にした画集と絵本の間のような何かを作りたいと思っているが、「ことばの生まれる景色」はそのヒントになりそうだった。

「ロシアの装丁と装画」の世界は、これまたいい本で普通に見入ってしまった。
特に、ページが複数にわたっていて印刷の切れ目ができている絵があり、端が少しずれている感じが味があって面白かった。自分の作品にも反映できないかなあなどと考えていた。

途中、少しだけ外へ出る。
向河原の駅の近くにある商店街を歩いて、「昔ながらのパン屋さん」の風格があるお店であんぱんとクッキーを買った。

今回の展示には、自分が好きな本や影響を受けた本を置くスペースがあり、これがまた面白い。
見に来てくれた人と話をしながら持ってきた本を読むと、今まで気づかなかった新しい魅力に気が付いたりする。

自分が好きな本を、お客さんも楽しんでくれるとこちらまで嬉しくなったりして、「本屋さんの楽しさってこういうことなのか」と勝手に思いを馳せたりする。

初日が終わって家に帰る。

途中に丸子橋という多摩川にかかる橋を渡るが、ここはスケールが大きくてとてもいい場所だ。

バカみたいに大きい橋、バカみたいに大きい川、バカみたいに大きい土手、バカみたいに大きい入道雲。とにかく問答無用でスカッとする。

都会に住んでいる人間のたわ言かもしれないが、広い道というのはそれだけでもう正義だと思う。

橋を渡り切ってすぐの道の左側は薄暗い森のようになっていて、気になるオーラが出まくっている。すぐ入り口には大きな神社があった。このエリアは絶対に面白いはずなので、今度探索してみたい。どうやら古墳もあるらしい。

・8月30日

今日もとんでもなく暑かった。
ギャラリーへ向かう途中。商店街の狭い道から見える巨大な入道雲。

山中湖で、間近にそびえる富士山を見た時の感覚を思い出した。

天気予報を見ると、どうもここまで厳しい暑さは今日で最後のような気がする。寂しい。
信号待ちをしていると、ただ事ではない強さの日光が左から照り付けてきて、嬉しくなる。

一面が真夏の光に照らされた景色があまりに楽しいので、ギャラリーに近づいたところで、つい寄り道をしてしまう。

ちょっとだけ知っている道を外れると、そこは全く知らない世界。
小さな神社と普通の住宅街が並んでいるだけの場所を走っただけのちょっとした寄り道だが、最高に楽しかった。

ギャラリーに着いてすぐに、お客さんが来てくれた。

お店の告知で個展を知って見に来てくれたらしく、とても嬉しい。
こういう、SNSやDMなどで作品を知って、見に来てくれるパターンが一番絵描き冥利に尽きる。

何人かのお客さんと話をさせてもらって、ようやく思い出したことがある。
それは、お客さんも緊張しているということ。

そうだった。
イベントごとなどで売る側になったときに、いつも思う。

どうしても、迎える側としてしっかりやらないと思って相手の気持ちを考える余裕がなくなってしまうが、自分がお客さん側としてお店に入る時のことを考えればすぐに分かる。

話しづらい人だったらいやだなとか、的外れなことを言っていたらどうしようとか、自分はそんなことばかり考えている。

それにしても、本を紹介するのが楽しい。
しかも、みんなが手に取る本とそうでない本が何となく分かれてきて、自分にとってはどれも魅力的な本なので、手に取ってもらえない理由は何だろうなどと、つい考えてしまう。
表紙だろうか。それとも置いてある場所の関係だろうか。

差し入れでいただいた超レアなアイス。白バラコーヒーと同じ大山乳業が出しているアイス。
おいしかったです。

帰り道で気になっている中華屋さんがあったので、持ち帰りをしてみる。


暑いなか来て下さったみなさん、ありがとうございました。

最寄り駅前の商店街、向河原商栄会の街灯。

個展「裏庭日記」のタイトルについて

8月29日から9月20日まで個展をやることになりました。

個展というのは不思議なもので、前回終わった時は「もうしばらくやりたくない」と思ったのに、時間が経つと「そろそろやりたいなあ」という思いがじわじわと募ってくる。

個展の概要については、twitterやインスタで告知をしているので、そちらを見ていただくとして、この記事では個展のタイトル「裏庭日記」の由来について少し書こうと思う。

展示のときに「ごあいさつ」みたいな感じで一緒に置いておいてもいいけど、あまり表に出して「ドヤァ!!」と言いふらすものでもない気がするし、ブログに書いておいて、気になった人が読んでくれるくらいの距離感がちょうどいいのかなと思った。

改めて、個展のタイトル「裏庭日記」は、自分にとって絵とはなにかという問いに対する、ひとつの答えみたいなものである。あくまで、ひとつの。


裏庭日記は、「裏」と「庭」と「日記」に分かれる。
このなかで、最初に浮かんだのが「庭」という言葉だった。

本格的に個展を意識し出したころに、新型コロナウィルスが流行し始めて、日々の生活が混乱し、暗い気持ちになることが多くなった。

しかし、自分でも驚くほど創作に影響が出ることはなかった。
絵の世界は、外の世界のあわただしさや感情の揺らぎとは関係なく、淡々と、ただそこに存在しているのだった。

思えば、創作行為は自分にとって現実逃避そのもの。
現実の世界から切り離されていることが大切で、絵の世界には、現実の世界で生じた色々な感情を持ち込まないようにしていた(もちろん自然に出てしまうことはある)。

距離感も特徴だ。

その気になれば絵の世界へは、紙と鉛筆と消しゴムを用意して、いつでも、すぐに、行くことができる。

外の世界とは関係なく、どんな時もすぐそこに存在していて、自分が足を運べばすぐに行ける場所。
それは自宅の「庭」のようなものではないかと思った。

ここで、「庭のこと」というタイトルが浮かんだが、あまりにもぼんやりし過ぎで、投げやりな感じもする。もう少し何かニュアンスがほしい。

次に「裏」という言葉が浮かんで、「裏庭」になった。

いくら絵のなかは現実と切り離されたもう一つの世界といっても、自分が存在しているのはこの世界である。

自分が死んでこの世界から消えてしまったら、絵を描くことができない。絵の世界にはもう行けない。絵の世界も、結局は現実世界によって存在が担保されているに過ぎない。

残念ながら、この主従関係をひっくり返すことはできない。
絵の世界はあくまでも現実世界に対して、従属的、副次的な存在でしかないのだ。

また、絵を描くことは自分にとって、ごく私的な行為である。
誰かのために絵を描いたり、何かの目的で絵を描いたりすることは、基本的にない。
単に面白いと思ったことを追求したり、気になったことを試したりするだけだ。

そうすると、絵の世界は「庭」といっても「裏庭」という表現がぴったりだ。
表があって初めて裏という概念が成立する。

自分のなかだけでひっそりと完結する世界。

こうして、「庭のこと」からもう一歩踏み込んで、「裏庭のこと」になった。

まだ少しだけもの足りない。「裏庭」というタイトルの個展も、いくつかあったし、もう少し何かほしい。

「裏庭で起きたこと」や「裏庭のできごと」なども思いついたが、何だか洋書のサスペンスもののようなタイトルで、いまいちだなと思った。

そこで「日記」である。

以前、通っていた学校の先生に「あなたの絵は日記を見ているみたいだ」と言われたことを思い出した。

言われてみると、絵とのかかわり方は日記と似ているなと思った。

例えば、絵を描かない期間というのは長くてもせいぜい2週間くらいだし、かといって毎日絵を描いているということもない。徹夜をして無理に仕上げたりすることもない。

生活に馴染んだこととして、何となく続けている。

あえて言えば、日記は書き手の感情などもつづる主観的なものであるらしく、絵の世界に感情を持ち込まないようにしているスタンスとは少し相性が悪いと思った。

「日記」に対して、「日誌」は起きたことだけを客観的につづるものであるらしく、「裏庭日誌」でもいいかなと思ったが、「日誌」という言葉は文字の印象が強すぎて、絵とはあまり馴染まないまない気がした。

そして「裏庭日誌」にしても、「裏庭日記」と間違えられるかもなと思った。自分だったら間違えそうだし。

語感も「裏庭日誌」よりも「裏庭日記」の方がいい。
何となく、「土佐日記」や「十六夜日記」など、中世の日記文学のような味わいがある。きわめて不遜な話だが。


やっぱり「裏庭日記」でいいか。

そんなこんなで、個展のタイトルは「裏庭日記」に決まる。

状況が状況なので、是非来てください!と屈託なく言えないところが複雑ですが、お近くにお住まいの方などいたら、無理のない範囲で来ていただけると嬉しいです。

それでは、「裏庭日記」をよろしくお願いします。

絵日記 5/5

ほとんど何もしていないが、背景について思うところがある。

絵日記を書き始めて思うが、制作が順調な時は取り立てて書きとめておく必要を感じない。

むしろ、煮詰まっている時や新しいことをやろうとして、頭のなかを整理したいときに、文章にしておきたいと感じることが多い。

そうすると日記として読むときに、実際の制作過程はかなりすっ飛ばされて記録され、頭のなかのごちゃごちゃした思考の断片だけが、この絵日記に記録されるようになり、本来想定した使い方とだいぶ変わってくる。

とはいえ、見られることを元からあまり想定していないというか、雑に書いた方が続けられるし、いつやめてもいいと思っているので、好きなようにやっていこうと思う。

さて背景の話。

有り合わせの紙を適当に並べて背景を作ってみた。

頭のてっぺんにある冠部分の余白の形が面白かったので、手近にあった紙を合わせてみる。

何となくだが、いきなり正解に近いものを引いてしまった気がする。

自分は絵を描くときに色んな選択肢を検討して、試行錯誤をしながら進めていくことが多いので、いきなり正解っぽいものを引くと結構困る。

何の検討もしないままうまく行ってしまうと、本当にこれでいいのか、もっとよくなる可能性を放棄するのは怠慢ではないのか、と罪悪感すら覚える。

一方で、いいものはいいんだから、このまま採用してしまえばいいんじゃないかという気もする。

散々悩んで感覚が疲弊した結果選んだものが、一番最初に「いい」と思ったものより「いい」という保証はない。


いくら紙を無造作に並べてみても、そこには必ず「何となくいい」と「何となくダメ」なものができあがる。

例えば、これなんかはダメだと思う。右側の紙片がうるさ過ぎて、明らかに本体の邪魔をしている。いくら適当に素材を配置しても、そこには何かしらの判断が生じてしまうのだ。

どうしてもこの素材を使いたければ、面積を減らすか、形を変えるか、色を絞るかなどする必要があるのだろう。

無造作で自由な背景を作ろうとすると、何でもありのように見えても何でもありではなくて、何でもないように見えて何かある。これがとても難しくて慣れない作業だが、出来るようになると、表現選択の幅がすごく広がる気がする。

絵日記 5/4

本体が大体できた。

色を塗り始めた段階から、何か新しいものが描けそうだという感覚があって、最後までその感覚のまま続けることができた。

羽根は、左右で色は大体同じだが、模様を変えてみた。

パーツごとにデザインを決めて、きっちり対称にしてしまいがちな自分にとって、これは割りと新しい。

縁取りの輪郭線や模様も、線がはみ出したり、きっちりしていなくても、あまり気にしないで描いた。気が楽になった感じがする。

左右のパーツで色や模様を変えるということは、とても些細なことで、人は当たり前のようにやっているかもしれないが、自分にとっては結構大きい発見だった。
無意識のようにやっていることを意識化に持ってきて見つめなおすことで、作品が前に進むのかなとも思う。

腕も同じく、左右で模様を変えてみる。
ダークブルーをベースとした部分と、薄いピンクをベースにした部分で、色がつぶし合うかと思ったが、思ったよりお互いに上手く引き合っている。

それと、羽根と脚のパーツは、型通りに全部を切り取らずに余白を残してみることにした。
背景との関係で、これがどうなるのかまだ分からない。

色も、背景に合うように塗った方がいいのか、白を残したまま模様を描き込む程度にとどめた方がいいのか。方向性が見えないが、背景と同時進行で少しずつ決めていこうと思う。

色塗りも詰めの段階に入ってくると、何かを新しく考えるというよりは、むしろ思いついた選択肢を消して、可能性を絞り込んでいく作業になっている気がする。

背景も、紙の大きさ通りの長方形にするのはやめて、何かしらの不規則な形にしようと思う。
今のところ、クラフト紙を少し使ってみようかと思うが、まだ殆ど白紙の状態。

絵日記 4/26

次の絵の制作に入る。

いくつか下描きしてあるもののうち、この絵を進めることにした。
水彩の感覚が少し掴めたので、水彩で色をつける予定だった足のパーツを先ず描いてみることにした。

左が一番最初に塗ってみたもの。イメージよりもだいぶ暗くなってしまった。
もう少し水を多めに薄塗りしてみたものが2枚目。これでもまだ色が強すぎる感じがする。特に、薄い色と濃い色の境界がはっきりし過ぎていて気に入らない。

もう少し薄塗りにした。
だいぶイメージと近くなってきたが、まだ2色の境界線が強い。上に塗り重ねる時は、かなり水を多めにした方がよさそう。

また、色を塗った後にセピアのペンで線を描き込んでみた。これが何か新しいものができそうな感じがする。

薄塗りの加減をもう少し調整しながら、線をもっと増やしてみた。
楽しい。これだという感じがした。自分の絵が一歩前に進みそうな感触がある。

この絵は、壁画に描かれた悪魔のようなイメージだったので、色も黒や青をベースに考えていたが、パステルカラーをベースにしてみた。こっちの方が美しさと不気味さが融合して良さそうだ。

アクリル絵具で描いてみたり、フォルムを少し変えたりもしてみた。

水彩とアクリルの感触の違いを確かめるためにアクリルで描いてみた。
水彩の方がより水に溶ける気がする。この辺の違いは、明らかに違うことは分かっているものの、まだ上手く言葉にできていないと思う。

とりあえず、パステルカラーにして、描き込む方向で進めていこうと思う。

絵日記 4/24


完成。結局、背景を付けて仕上げることにした。
タイトルは「宝石泥棒」。

試行錯誤をする過程で宝石がいっぱいできたので、入れることにした。
泥棒というイメージは本体ができた時からあったもの。

背景は、水彩絵具を使った。
最初は黄色にして明るい背景にしようかと思ったが、明るすぎてうるさくなってしまったので、上からプルシャンブルーをかけたら、案外うまくまとまった。
珍しく背景が順調に進んだ方だと思う。

絵全体が流れ星のような、斜め下に向かっていくイメージがあったので、それを強調させるためにところどころ線を入れて、動きをつけた。

水彩と少しだけ和解できた気がする。

今まで、人の作品や絵本を見て、どうやったらこの質感が出るんだろうと思っていたところが実は水彩絵具で出せることが分かった。

黄色の上からプルシャンブルーを塗り重ねる時にあえて、黄色い部分を少し残して抜いてみたが、これも新鮮な表現だった。

最初に水彩を使い始めた時は、全く使い方が分からなかった。
とりあえず使い慣れたアクリル絵具と同じようにやってみて、上手くいかないと感じたことが多い気がする。
普段、アクリルで描く時のように、めったやたらに混色をしたり、上から絵具を重ねたりすると、逆に色が濁ってしまうことが分かる。
この辺の色の濁り方がアクリルよりもシビアで、一度失敗してしまうと、あまり取り返しがつかないと思った。

むしろ完璧に色を混ぜ合わせたりせずに、色どうしが混ざり合っていない色むらや、重なり合う境界の模様の美しさを活かす方が向いているのかなと思った。

重ね塗りをすると、アクリルよりも下の色が透けて見えて面白い質感になった。

また、絵具自体の水溶けがいいせいか、アクリルよりも直線的で鋭い線が描けるなと思った。

水彩絵具はまだいろいろと表現の幅が広がりそうなので、もう少し使っていきたい。水彩で覚えたことをアクリルの方に輸入できたらいいなとも思う。

とりあえず、一枚絵が仕上がったのでここまでにする。

絵日記 4/21

ここからどうしようか。

実は、本体が出来上がっていて背景を描かないといけない絵がもう1枚ある。

背景を描くのはもの凄くしんどい。なぜなら背景にはあまり興味が無いからだ。
ただ、背景の有用性というのも分かっているつもりだ。

背景がうまく行けば本体の世界観が一気に深まる。
自分の場合は、あまりやりたくない背景を描いて作品を完成させる原動力は、本体への愛着やこだわりにある。

本体が描きあがってから時間が経って熱が冷めてしまったり、本体自体がそこまで気に行ってなかったりすると、なかなか背景を描く気力が湧かなかったりする。

しかも、描きかけの絵が2枚もあると精神的にも何となく落ち着かない。
完成させるのか、させないのか、方針が決まらないと、いつまで経ってもだらだらと進めてみたりして、止めどころが分からなかったりする。

他のことをやっている時にも、どこかで「描かないといけないのかなあ」という思いがのこり、いまいちスカッとしない。


完成後の形がイメージできるような並べ方をしたい。
そうすると、紙幅が大きくなる割りに無駄なスペースが結構できてしまう。

ぐちゃぐちゃ考えているうちに一つアイディアを思いついた。
もともと背景(を描くことになる紙)の形は、四角形でなくてもいいのではないかと思っていた。

それならば、この怪人と同じような形にしてしまったらどうか。
ちょっとやってみよう。

絵日記 4/20

顔をつけてみる。
タコの怪人のようになった。色合いもあって悪魔のような感じになった。

何となく怪盗のようにも見えたので、宝石を作って持たせてみた。

本体を少し付け加えたので、再度並べ直してみた。
今度は、パーツごとにちゃんと整理してみる。

組み立てキットやシールのようにするなら、宝石もいくつかあったら面白いと思ったので、宝石も何パターンか作ってみた。

宝石。
実は、この宝石が水彩の性質を一番上手く活かせているんじゃないかと思う。

真ん中の黄緑と赤が面白かった。
混ざってしまうと汚くなってしまう組み合わせだと思っていたが、これが意外にもきれいになった。

どうにも、アクリルとは性質が全然違うらしい。当たり前だけど。

自分の場合、アクリル絵具を使うときは絵具から出して生のままの状態ではあまり使わないようにしている。色が強すぎてしまうので、できるだけ混色をしてインパクトを馴染ませるようにしている。

水彩は出てきた絵具をシンプルに水に溶かすだけですごくきれいな色が出るし、水と混ざった状態の色むらによって、色んな表情が出る。

反対に水彩は、混色をあまりし過ぎると色が濁ってしまう。
筆洗でちゃんと絵具をゆすがないで筆に絵具が残っている状態で、次の絵具を使うと色が混ざってしまって、そこで色が濁ってしまったりもする。
そういう点は、アクリルよりもデリケートだと感じた。

アクリルよりも、もっと水との関係がもっとカギになるのかもしれない。

これからどうしようか。

背景を描いてちゃんと仕上げたい感じもするが、忘れないうちに本来描きたかった絵に戻りたいとも思う。いずれせよ今日はここまでかな。

絵日記 4/19

タコの本体はできた。

躍動感があって色もまとまったと思うが、それだけという感じ。もともと練習用だと割り切っていたし、熱が入っていないのは当たり前のこと。

水彩も少し感覚が分かってきた。
短期間で使いこなせるようになるとは思っていないので、これくらいで何とかなりそう。
グラデーションの部分は、やはり水彩独特の質感できれい。

ここから背景を描いていって、一枚の絵として仕上げるかどうか迷うところ。
背景を描くのはあまり好きな作業ではないので、本体に「なんとかこの絵を完成させたい」という思い入れがないと息切れしてしまう。

このタコにはそこまで思い入れがないような。
頭をつけて人型っぽくしたら、FFのギルガメッシュみたいになるだろうか、などと思ったりもする。

こちらは試しにパーツを並べてみたもの。

太めの黒で縁取りをして、さらに白枠を残すように切ると、シールのような感じになる。
もう少しきれいに並べて番号を付けたりすると、よりそれっぽくなるだろうか。

最近、型紙のような不完全な状態にも面白さを感じる。
これはこれで、組み立てないでパーツの状態で一つの作品としてまとめる方向もあるかもしれない。
どうせ練習用に作ってみたものだし、大胆に実験して遊んでもいいかもしれない。

絵日記 4/18

色塗りを少し進める。
メインの部分と色が違うパーツをいくつか作りたい。2つの色が上手く合うかどうか。
もう少し進めないと、まだ何とも言えなさそう。

型紙も作った。本体のパーツは大体できた。

テントウムシで水彩の練習。
いいのか悪いかすらよく分からない。

黒が少し汚く見える。画面で見るとより際立ってしまっている。

水彩には、アクリルでは出せない透明感のようなものが確かにあるなと思った。
それとアクリルよりも断然水によく溶けるので、薄塗りを重ねていきやすいなと思った。
これに関しては、やり過ぎてしまう心配もあるのだろうけど。

もう1枚。
上の絵はのモチーフと比べると色が明るすぎたので、元の色に近づけてみた。

2枚とも、ここから細かいところを描き込んでいくのだろうが、水彩で写実的に描き込んでいく方法が全く分からない。どうしてもアクリルのようにべったり塗っていく方向が浮かんでしまう。

かといって、写実的に描く方向を切ってデフォルメするとしても、水彩を使った場合のデフォルメの仕方も分からない。
そもそも、目の前にあるモチーフを描こうとすると、見たまんま描こうとしてしまうので、デフォルメがすごく苦手だったことに気づく。

結局のところ、何となく水彩の使い方を掴んで、タコにフィードバックできれば何でもいい訳だから、テントウムシを上手く仕上げることよりも、画材の性質を知ることの方が大切な気がしてきた。

水彩はもう少し、重ね塗りをしてみたい。今日はここまで。