絵日記 5/5

ほとんど何もしていないが、背景について思うところがある。

絵日記を書き始めて思うが、制作が順調な時は取り立てて書きとめておく必要を感じない。

むしろ、煮詰まっている時や新しいことをやろうとして、頭のなかを整理したいときに、文章にしておきたいと感じることが多い。

そうすると日記として読むときに、実際の制作過程はかなりすっ飛ばされて記録され、頭のなかのごちゃごちゃした思考の断片だけが、この絵日記に記録されるようになり、本来想定した使い方とだいぶ変わってくる。

とはいえ、見られることを元からあまり想定していないというか、雑に書いた方が続けられるし、いつやめてもいいと思っているので、好きなようにやっていこうと思う。

さて背景の話。

有り合わせの紙を適当に並べて背景を作ってみた。

頭のてっぺんにある冠部分の余白の形が面白かったので、手近にあった紙を合わせてみる。

何となくだが、いきなり正解に近いものを引いてしまった気がする。

自分は絵を描くときに色んな選択肢を検討して、試行錯誤をしながら進めていくことが多いので、いきなり正解っぽいものを引くと結構困る。

何の検討もしないままうまく行ってしまうと、本当にこれでいいのか、もっとよくなる可能性を放棄するのは怠慢ではないのか、と罪悪感すら覚える。

一方で、いいものはいいんだから、このまま採用してしまえばいいんじゃないかという気もする。

散々悩んで感覚が疲弊した結果選んだものが、一番最初に「いい」と思ったものより「いい」という保証はない。


いくら紙を無造作に並べてみても、そこには必ず「何となくいい」と「何となくダメ」なものができあがる。

例えば、これなんかはダメだと思う。右側の紙片がうるさ過ぎて、明らかに本体の邪魔をしている。いくら適当に素材を配置しても、そこには何かしらの判断が生じてしまうのだ。

どうしてもこの素材を使いたければ、面積を減らすか、形を変えるか、色を絞るかなどする必要があるのだろう。

無造作で自由な背景を作ろうとすると、何でもありのように見えても何でもありではなくて、何でもないように見えて何かある。これがとても難しくて慣れない作業だが、出来るようになると、表現選択の幅がすごく広がる気がする。

outa.waruagaki
都内在住。2016年2月までタイに2年半在住。絵を描いたり、街灯のことを書いたり、散歩したり。

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